「なんとかしてあげられないのか?」
昨年10月。
コロナの影響により、2年連続となる都道府県全中の中止が決定。
そのタイミングで、無謀な挑戦がスタートしました。
中学生のみならず、全小、インハイ、インカレなど、あらゆるカテゴリーの主要全国大会が軒並み中止に追い込まれたコロナ禍の1年間。
多くの選手たちにとって、目標としていた大会が失われたことで、不本意な形で部活動を引退したり、そのまま競技から離れてしまった人も決して少なくないはずです。
そんなやりきれない状況のなかで、「なんとかしてあげられないのか?」と、そう誰もが思ったはず。
そうは言っても、依然として新型コロナ感染拡大に収拾の目処が立たないなか、「どうにもならない」という無力感を味わった人がほとんどだと思います。
私自身も実際、そうでした。
できることなら、どんなことをしても開催してあげたい。
一般社団法人Well Trade Project W.A.K.Aの若宮聡さんを中心としたメンバーが立ち上がり、そこに志を同じくする仲間が一人、また一人と協力していきました。
この「Soft Tennis Festa 2021」は、主催する側の大会実行委員はもとより、協賛いただいた企業、個人のみなさまなど、多くのご厚意があってはじめて実現できた大会でした。
その陰のヒーローたちの姿をどうしても書きとどめておきたかったので、今回はその舞台裏にスポットをあてたいと思います。
私自身も比較的早い段階から大会準備に携わらせていただきました。
そのあたりの経緯は以前のブログ記事に書いてますので今回は割愛します。
過去記事:春休みはGoTo富山! Soft Tennis Festa 2021
https://sofumeshi.com/2020/12/project-waka_soft-tennis-festa2021/
動き出した無謀な挑戦
今思えば、スタートの時点ではまだ全体像が見えていなかったこともあり、自分たちがどれだけ大変なことをやろうとしているのかを正確には理解できていませんでした。
毎年開催している定例大会の運営でさえ決して簡単ではないのに、半年もない準備期間のなかゼロから立ち上げて全国大会をやる。
それもこのコロナ禍に。
どう考えても無謀なチャレンジでした。
毎週のようにZoomミーティングで議論するなかで、大会が近づくにつれ用意しなければならないこと、決めなければならないことが増えていきました。
グループLINEでは、追いきれないくらいのメッセージが連日飛び交います。
3月まで延長された首都圏の緊急事態宣言の影響もあって、直前まで必ず開催できるという保証がないなか、何度も難しい判断を迫られました。
保険として5月開催のための会場も確保したり、場合によっては首都圏のチームが参加できないケースなど、あらゆる方向性を探っていました。
それでも、メンバー全員に共通していたのは、ここまできたら必ずやり遂げるという信念。
携わっているスタッフは、わずかばかりの寸志はいただいているものの、ほぼほぼボランティアです。
損得勘定は抜きにして、みんなそれぞれが熱い想いを持って参加しています。
ちなみに関係者のあいだでは、事前準備から当日の運営まで尽力いただいたこれらの有志メンバーを、「プロワカ巻き込まれ被害者の会」と呼んでいます(笑)
もしかしたら、私もその筆頭かも知れません。
3月26日(金) 前日練習
会場での準備のため各々仕事の調整をつけて、大会前日から富山に集合。
なるべく経費を抑えるために、複数人でまとまって車に乗り合いです。
私たち神奈川出発組は、始発近い電車で横浜に集合したあと、一路北を目指します。
なごり雪の残る長野県の諏訪湖で小休止。
これでも目的地まではまだ半分。
途中、車窓からの雪景色。
なんだか随分と遠くまで来た気がします。
旅は道連れ。
心配されたロングドライブも、運転を交代しながら熱いソフトテニス談義に花を咲かせていたら、あっと言う間の6時間半。
お昼過ぎには会場の高岡スポーツコアに到着。
会場設営が着々と進むなか、明日からの熱戦に向けてコート内では子供たちの元気な声が響いています。
スタッフは到着早々、来場者の誘導やアルコール消毒、荷物の運び込みなどで息つく暇もありません。
各地から集まった運営スタッフ同士の顔合わせ。
直接会うのは初めての方もいますが、Zoomで頻繁に顔を合わせていたので初対面の気がしません。
今大会のスタッフは、主催であるプロワカ理事メンバー、および巻き込まれ被害者の会(お手伝い)の面々、そして後援である地元高岡市ソフトテニス連盟、富山県ソフトテニス連盟のみなさま。
それら50人を超えるスタッフに加え、隣県石川からは2021北信越総体のリハーサルとして審判員を買って出てくれた高校生たち。
総勢136名に及びます。
実際にはそれでもなお人手が足りないくらいで、期間中はみな会場内を駆け回っていました。
普段何気なく参加している大会にも、その陰には「支える人」の存在があることを忘れてはいけません。
大会実行委員長として、強力なリーダーシップで個性溢れるメンバーを引っ張ってくれた小峯秋二さん。
会場確保に始まり、地元連盟や自治体との調整、参加チームやスタッフ、進行の取りまとめ、業者との折衝・・・。
ありとあらゆる準備を主導的に行っていただきました。
小峯さんの存在なくして、この大会の実現はあり得ませんでした。
ほとばしるようなその情熱は、間違いなくチームメンバーに伝搬しています。
小峯さんがあれだけやってくれてるんだから、俺たちもやらないと。
各分野で経験豊富なプロワカメンバーたちが、それぞれの強みを生かして持ち場を果たしました。
私は大会広報を担当。
最初はホームページを作るだけで、あとはソフメシとして当日の取材をさせてもらおうと考えていたのですが、成り行きでいつの間にか広報責任者に!?
気づいたらすっかり、この壮大なお祭りに取り込まれていました(笑)
光栄です!!
最初はどこまでできるか不安と期待が入り混じっていました。
でも、せっかく乗りかかった船なので、この際目一杯やれることをやろうと。
私一人ではとても務まらなかった大役ですが、幸いにも優秀な協力者を得ることができて、チームの力で大きな壁を越えていけました。
今回、大きなチャレンジだったのが、会場に応援に来られない人たちに向けたライブ配信と、予選リーグを含む全試合の録画配信。
出場選手にとって一生の記念になればという想いから、全ての試合を記録として残してあげたいと考え、最初に言い出したのは私でした。
ただ、エントリー数が固まってきた段階でよくよく考えてみたら、男女の予選リーグと決勝トーナメント合計で全85試合。
決勝トーナメントは2点先取だとしても、すべての対戦数はざっと250対戦以上。
コンソレーションを除いてもそれだけの数があります。
とても編集しきれる数ではないどころか、全てを撮影するだけでも困難なことに気づき、前言撤回するも時すでに遅し(泣)
「できる、できないじゃなくて、やるか、やらないかでしょ?」
そんな頼もしい広報メンバーのプレッシャーに押され、腹を括って4月一杯は動画編集に費やすと覚悟を決めました。
自分一人だったら絶対に諦めていますが、心強い仲間の存在が背中を押してくれます(笑)。
本来、お金と人手さえかければ出来なくもないのでしょうが、今回はコストを抑えるために機材も各自の持ち寄り。
全16コートをカバーするために足りない機材は、知り合いから借り集めて補いました。
選手たちのためにやれることは最大限やろう。
要領の悪い私は、新しいことに挑戦するとき決まっていつも悩みます。
「このやり方で本当に合っていたのだろうか?」
「もっと他に良いやり方があったんじゃないか?」
どこまでやれるかは分からないけど、やれるだけやりきったらまた何か見えてくるはず。
電源設備や配線、撮影機材の設定、カメラの固定位置など、現地に行ってみないと確認できないことも多かったので、半日かけても準備はギリギリでした。
宿から「食事と風呂の時間があるから早く帰ってきて」と何度となく連絡をもらいながらも、最後の最後まで入念に準備。
一方でナイターコートには、遅くまで練習するチームの姿も。
明日の本番に向けてベストを尽くそうという姿勢は、選手も運営も共通です。
風呂が21時までということだったので、せめて風呂には浸かって疲れを癒したい!
時間ぎりぎりに会場を離れ、食事を片付けずに待ってくれていた宿の方に感謝しつつ、急いでご飯をかき込みます。
なんか、おかずが3食分くらいある気がする。
豪華!!
北陸出身者によれば、これがスタンダードだそうで。
さすがのおもてなしに感謝。
そのうえさらに、“漫画盛り”のご飯を軽々とたいらげる若者が!
プロソフトテニスプレイヤー「よしれい」こと、芳村玲選手。
彼にもこの大会の盛り上げに一役買ってもらっています。
芳村玲/よしれい公式ホームページ
ごっつぁんです!!
3月27日(土) 大会1日目
前日準備が終わり、いよいよ大会本番の朝。
6時には会場入りするため、早朝に宿を出発。
選手や保護者が会場に入ってくる前に、急いで各コートのカメラセッティングを終えます。
広報スタッフ4名で16面を撮影カバーするため、役割分担や手順を入念にチェック。
そうこうしているあいだに、会場には続々と選手たちが到着。
朝の検温がスタート。
極力密を作らないため、チームごとの試合開始に合わせて来場時間帯を細かく分けました。
開会式も実施せず、必要な連絡は各チーム関係者に事前に伝えたLINEのオープンチャットと場内放送で行います。
観客席を含むテニスコートエリアに入れるのは、試合に該当する選手・監督と保護者のみに絞り、待機エリアもそれぞれ別々に用意してしっかりとゾーニング。
雨が降った場合の待機場所をどうするか、駐車場の誘導方法や、メーカーブースの出店時間、トイレの使用まで、密が生じる可能性を徹底的に洗い出し、それに向けた対策を施しました。
このあたりは、感染症の専門家である富山大学の森永芳智教授にもご協力いただき、事前に細かくシミュレーション。
最初にミーティングで小峯さんから説明を受けた際には、「ここまでやるのか!」と正直驚きました。
「感染症を正しく恐れ、できる限りの対策を取る」という言葉に偽りはありません。
やるからには徹底的にやる。
そこに一切の妥協はありません。
元全日本チャンピオンの凄さは、コートの外でも節々に垣間見れました。
入場者管理のために用意したワッペンは、出場選手と監督には配布。
保護者を含む観戦者には各自購入をしていただきました。
それでも、記念としておみやげに欲しいということで追加購入希望が殺到。
数に限りがあるので、泣く泣くお断りさせていただきました。
今大会には、選手だけでも400人強が参加しています。
監督・コーチなどのチーム関係者、保護者、そしてさらに運営スタッフまでを含めると、会場には相当な人数が集まります。
我が子の晴れ舞台に、声を出して応援してもらえるようにと用意した1,000人分のフェイスシールド。
それでも足りない分は、事前に各チームでも持参してもらえるようにお願いしました。
応援席は試合が終わるごとに一度全員退出してもらい、ベンチや手すりを毎回アルコール消毒する徹底ぶり。
段ボール山積みで用意していた消毒液も、結局足りずに追加発注するほどに。
絶対に感染者を出さないという強い信念のもと、ここでも妥協は許されません。
このあたりにかかった費用は、協賛スポンサーからいただいた協力金でまかなわれました。
無観客で開催するという選択肢は常にありました。
安心、安全に開催するためであれば、それが最善かも知れません。
でも、この大会の目的はそれだけではありません。
コロナで失われたものを取り戻すための戦いです。
メーカーブースでも密を作らないようにアナウンスしながら、なるべく分散して買い物をしていただくようにお願いをしていました。
大会スポンサーでもあるKEI SPORTSで用意いただいたチャリティーパーカーとTシャツ。
販売金の一部は大会運営資金に回されます。
みんなの想いが一つになって、コロナで失われた風景が少しでも取り戻せたと思えば、運営メンバーもここまで頑張ってきた甲斐がありました。
大会初日の最終戦が行われる頃には、すでに日も暮れていました。
まだ寒さが残る3月の富山の夜。
コート上には熱戦を繰り広げる選手たち。
それを見守る観客席の大人たちからも、なんだかとても温かいものを感じます。
ゆっくりと試合を見ていたいところですが、広報チームはここからが正念場。
翌日の決勝戦、準決勝のライブ配信に向けて、入念な機材チェックとリハーサルを行います。
ここはソフトテニスのライブ配信では経験豊富なスタッフが、プロ顔負けの手際の良さで対応。
ちなみに機材はすべて彼らの自前です。
「業者かっ!?」
と、何度もツッコミさせていただきました。
この人たちはいずれ業者として独立してもらったほうがいいと、私は勝手にそう思っているので、そこに対しては今後も全面的に支援していきます(笑)。
全16コートを丸一日撮影し続けた動画データは、ゆうに1TB以上。
これらをコピーするだけでも、効率を考えて作業しないと時間がいくらあっても足りません。
この作業終わらないと、今日は眠れない!!??
早朝勤務に始まり、部屋に戻っての深夜残業まで。
ほんと、好きじゃなかったらこんなこと普通やってられません(笑)
この日も遅くまでご飯を用意して待ってくれていた宿のおばちゃんに感謝。
風呂の時間には間に合いませんでしたが(泣)、シャワーを浴びて明日の最終決戦に備えます。
買っておいたビールを飲む余裕もなく、パソコン開いてデータコピーしながら寝落ち。
3月28日(日) 大会2日目
そして迎えた勝負の朝。
もっとも心配していたのが天気です。
見事なまでの雨予報。
試合進行に影響するのはもちろん、撮影班は雨によって大変さが何倍にも増しますが、ここまできたらやり切るしかない!
無論、広報スタッフに限らず、大会を滞りなく進めるための進行本部、記録係、審判員など、多くの人が朝早くから忙しく準備してくれています。
大会前から大会期間中までさまざまな準備があり、どれか一つ欠けても大会は成り立ちません。
最初は邪魔にしか思えなかったフェイスシールドも、ずっと着けていると不思議と違和感がなくなってきます。
慣れってすごい。
悪天候のなかでも幸いだったのは、朝の時点ではかろうじて雨が降っていなかったこと。
そもそも雨のなかで準備するのと、雨に備えて準備しておくのではだいぶ意味合いが違います。
試合開始から徐々に雨風が強まり、結局終日の天候不良。
雨だけでなく、ときに突風が吹く厳しいコンディション。
かろうじて試合の中断は避けられましたが、選手たちにとっても最良のパフォーマンスを出しづらい難しい状況だったと思います。
今大会に参加している世代は、2018年の愛媛全小で台風によって男女ともベスト8で途中終了という苦い経験をしています。
日本一を争う全国大会の舞台で、最後まで試合をさせてやりたい。
みんなの願いは、なんとか富山の空に届いたようです。
最後の決勝戦では、降りしきる雨をものともしない選手たちの元気な声がコートに響き渡り、素晴らしい戦いを見せてくれました。
当日行ったライブ配信の模様は、大会公式YouTubeチャンネル「SOFT TENNIS Navi」にてアーカイブとして残しています。
なお、男女決勝戦はスロー再生付きの編集版もすでにアップ済みです。
それ以外の試合もこれから順次アップしていきますので、そちらもぜひお楽しみください。
【注目動画】ライブ配信アーカイブ|Soft Tennis Festa 2021 全国中学生ソフトテニス対抗戦/男子決勝
【注目動画】ライブ配信アーカイブ|Soft Tennis Festa 2021 全国中学生ソフトテニス対抗戦/女子決勝
SOFT TENNIS Navi
慌ただしかった3日間の戦いも終わりを告げ、静寂に包まれる高岡スポーツコア。
欲を言えば、やりたいことはもっとありました。
それでも、とりあえず最低限の役目は果たすことができたという安堵感で、なんだか急に疲れがどっと押し寄せます。
同じ志のもと、偶然にも集まった即席チームですが、なんとか全員の力で大会をやり切りました。
今大会の成功は、運営スタッフだけでなく、参加いただいたチームの関係者、保護者のみなさまの協力がなければ成し得なかったものです。
思いを一つにしてみんなで力を合わせれば、こんなに大きなことができるんだと、そう強く実感します。
代表の若宮さん。
ただでさえ忙しいなか、何かあると「俺、やっとくよー」と参加チームへの連絡や、物品・書類の手配など細かいところまでご対応いただきました。
そのきめ細やかな気配りで、チームの一人一人が気持ちよく動けるようにフォローアップしてくれる。
先頭に立ってぐいぐい引っ張る小峯さんとはまた対照的な、大きな安心感としなやかで心地よいリーダーシップ。
東海大相模で一つ下の後輩である小峯さんと、お互いを尊重し支え合ういいコンビです。
本当にお疲れさまでした。
今回の巻き込まれ事故により、多大なる貢献をいただいた広報チームの面々とパシャリ。
とくにライブ配信においては私がほとんどタッチすることもなく、見事なまでに成し遂げてくれました。
そして、実は広報チームにはまだ大きな山が残っています。
予選リーグを含む全試合を録画配信でお届けするために、大会が終わった今もそれぞれ分担して膨大な撮影データと格闘してくれています。
例えるなら、最高峰の山に登頂を果たしたあと、登山よりも大変と言われる下山がまっているようなもの(笑)
まだしばらくは眠れない日々が続きますが、一緒に絶景を見れたので、気分は晴れ晴れです。
思いっきり巻き込んでごめんなさい!
懲りずにまた巻き込まれてくださいっ!!
自分たちがやったことを美化するつもりでもないし、自慢したいわけではありません。
それでもこの社会状況下で、ここまでの大会をやり遂げたということは大きな成果だったと思います。
一つのロールモデルとして、この先開催を予定している大会運営に少しでもヒントになれば幸いです。
今大会はもともと1回限りで、来年度に開催する予定はありません。
新型コロナウイルスが終息に向かい、来年こそは都道府県全中が無事に開催されることを願っています。
みなさんとは、また違うかたちでどこかでお会いしましょう!
最後は、閉会式にかえて、エンディング動画でどうぞ。
【注目動画】SoftTennis Festa 2021 エンディング
【公式サイト】Soft Tennis Festa 2021 |令和2年度 全国中学生ソフトテニス対抗戦
過去記事:Soft Tennis Festa 2021 令和2年度全国中学生ソフトテニス対抗戦(2日目)
過去記事:Soft Tennis Festa 2021 令和2年度全国中学生 ソフトテニス対抗戦(1日目)
もぉ、素晴らしいの一言です‼️読んでいて涙が出ました。利益ど返しの活動…ホント「子どもたちのため」に尽きます。
コロナ感染猛威の中、一番、被害を受けているのは未来が待っている子どもたちだと思います。子どもたちの一年は人生において一度きり…「また、来年も…」なんてことはありません。
大人たちの勝手な行動によって、子どもたちが一番犠牲になっています。
そんな子どもたちを救いたいという思いはきっと届いたと思います。
私の息子も都道府県対抗に出場するために県選抜に選ばれました。この富山の大会に出場予定でしたが、近くで九州大会が開催となりそちらへ出場しました。その後、三重のミズノカップに出場して優勝しました。良い結果で終わったのですが、こちらの大会に出場したかったなぁと思いました。
この状況はいつまで続くのだろう…と不安の毎日です。中学校部活の集大成、総体がやってきます。
開催できるかどうか不安しかありません。
ぜひぜひ、皆さんと同じ思いの方達のご協力で、子どもたちの未来を明るいものにしてもらいたいです。
コメントありがとうございます!
運営スタッフは、みなそれぞれの仕事があるなかで多大な時間と労力を費やして、大会成功のために尽力してくれました。
新型コロナ感染状況が収まる気配もないなかでの大会運営は、想像していたよりも大変なものでしたが、なんとか形にできて関係者一同胸をなで下ろしているところです。
子供たちの弾けるような笑顔や、負けて悔し泣きしている姿を見て、本当にこの大会を開催できて良かったと感じています。
ただ、現実的にすべての子どもたちを救えたわけではありませんし、またこの先も予断が許さない状況があり、決して手放しで喜べるわけではありません。
おっしゃるとおり、「今」という時間は子どもたちにとってかけがえのない時間です。
そこに対して、大人たちが一致団結して、どう手を差し伸べることができるか。
プロワカの活動はまだ始まったばかりで、この先もまだまだできることがあると考えています。
志を同じくする多くの方々のご協力を得ながら、新しい挑戦をしていきたいと思います。
まずは夏の大会がなんとか開催されて、また子どもたちの輝く姿が見られることを願っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。